大風呂敷のセンチメンタル、福本です。
’
今年は久々に五月病にならないかも。
いやなるかも。
二月病はちょっとなりましたもんね。
でも大丈夫。
すごいのが来てるから。
小刻みに鮮明に。
負けてたまるか。
早いんですけど5日(土)の16時~ライブあります。
捻り出します。
’
しかしまぁ、思想と言葉のバランスって難しいですよね。
どこまで出していきましょう?
確かな思想があってそれはそれは人一倍。
そいつを知らせておきたい、残しておきたい、身体を軽くしたい。
そいつで開きたい、引き寄せたいと思いつつ、
目眩くその速度についてきてもらうのも申し訳ないし、
きっと理解はされないだろうと思ってしまうのです。
いらぬ思い違いを生むこともあるでしょう。
華麗な旋回がふらつきにも見えてしまうでしょう。
それにあなたが見ているのは残像かもしれないとはなかなか言い出せません。
虹の角度なだけなんだけど。
そして厄介なのはもしかしてほんの一握り、
残像に微々たる煌めきを見出してくれている人もいるかも知れない。
とても嬉しいことなのだけど。
その嬉しさがまた枷となり、でも糧となり、動けなくもなります。
自分の中ではじっくり、かつ猛烈に時は流れているのです。
価値観は一人一人の中にあるもので外からはどうすることもできなくて。
だからこそ難しい反面、どうでもいいっちゃあどうでもいいのです。
気付いてるくせにまだ弱さが居座っていて見られ方を気にしてしまうのです。
失うことが恐いのです。
変わることよりも変わられることの方が恐いのです。
僕が思っているよりみんな優しいのだろうけど。
僕が思うより僕はまだ誰かの中に色濃く存在できてなかったりして…。
それはそれで悲しくて。
でも確かに存在できてる人がいる自負もある。
確かな人にだけはどう在るかを伝えればいいよね。
伝えてるし。
それですら、それだから?とまどいも与えてしまうこともあるけど。
そこまでいけてるなら何の問題もない。
だってそこまでいけてるのだから。
問題はいけてない方。
全ての人がそこまで達しないのは当たり前なんだから。
こっちにだって選ぶ権利はあるもの。
結局、まだ日の光には当てずに珊瑚礁を深海魚を眺むのだろうかなと思うのです。
鍵を渡した人にだけ部屋に広がる深海をお見せしている現状です。
偽りではないのだろうかと揺り揺れながら。
少し息苦しくなりながら。
これだって全て言葉選んで紡いでいます。
ちょっとずるさがでました。
言葉選びの巧さゆえのすり替えを聊かですが使いました。
少し、ぼやかしのあやかしを鏤めてしまいました。
一人事だからいいのかなと思いますけど。
誰も読んじゃいないし。
この渾身の言葉の塊もさらさらと流されていくのでしょう。
難しいね。
難しいでしょ?
内容もそうだしバランスのこともだよ。
まぁ僕はどうやら思考できてる時点で大丈夫そうです。
五月病は考えることさえできなくなる。
だから悩めることにさえ喜びを感じたい。
そうだ、大丈夫。
生きてる。
生きてく!
ほら、大丈夫だ。
すごいのが来た!
咲くでしょ?
咲かすんでしょ?
咲かなきゃ嘘だろ!?
すみません、この場で息継ぎのような深呼吸ができてよかったです。
’
最近のコメント